遠藤良子「「福島にいてはいけません!逃げて下さい!」 という叫び~その1~」(2011年6月号)

 6月16日~18日、2泊3日で福島県に行ってきた。

 1ヶ月程前にたまたま紹介されて出会った方が、福島から引っ越してくるときいて、その経緯やご家族の思いまた周辺の人たちの様子などを聞かせていただき、そんなことになっているのかと思い現地で直接聴いてみたいと思った。原発事故直後に国立から西へ脱出した人がいるくらいだから、福島からの脱出に何の不思議もないがその方のお話だとすでに原発の危険性や避難するという話は現地では禁句になっているときき驚いたからだ。

 国も東電も「大丈夫、心配ない」というのだから安全なのだ。それを今更不安を煽り、危険を叫ぶなんて『人心を惑わす不貞の輩』だという空気があるという。それをきいて、本当にそんなことになっているのか?色々な事情で引越しは困難な人も多いだろう。仕事がなければ生活もしていけない、心情的にも、それまで暮らしていた地を去るのは辛いことであるのは当然だ。人間関係やその土地や家への愛着も捨てていかねばならない。

 しかしだからといって「安全」だと思うかどうかは別のこと。本当は恐い、逃げたい、でも逃げられないというのが本音なのではないか?

 私はDV被害者支援をしているが、当事者がにげる時加害者が拘束されるのでなく、被害者がすべてを捨ててどこまでも隠れて逃げなければならない。その理不尽さにいつも憤りを覚えるが、とにかく身の安全を確保するには現状ではそれしか方法がない中で、やむを得ずの選択を強いられる。それを決断せねば一生暴力に耐えて生きるしかない、もしかしたら殺されるとなれば、逃げるしかない。放射能の恐怖もそれと変わらないのではないかと思えたが、目に見えないとりあえず今痛くもない臭いもしない、形のない放射能に怯えて逃げるなんて、国が大丈夫というのに、という話になるのか、何ということか?!

 そういえばDVだってそれまでは、夫婦喧嘩だとか家庭内のことといわれ社会的問題として取り上げられず10年程前にDV防止法ができてやっと社会問題になり公的な救済対象になったばかりであることを思えば同じなのかと思う。夫が妻を殺しても、親が子を殺しても罪が軽かった時代があった。もっと大きく見れば、戦争では、国が人々を殺しても聖戦といって正当化される社会にあって、「自然災害の震災・津波」のせいで原発事故がおこり、被害が出ても、見えない放射能から逃げるなんてそこにしかいられない人を見捨てる我儘だという論理が出てきても不思議はない。そんなことを色々考えながらやっぱり行ってみたい。間接情報でなく生の風景を見て生の声を聴かなくてはと思い行くことを決めた。

 総動員体制のように「日本は一つ」「今こそ団結」「頑張ろう」という文句が氾濫し、ボランティアが当然のように言われる中で、実際杖をついて歩く私にできることが見当たらないこともあるが、この風潮の中で現地に出掛けていくことに抵抗があったことも確かだ。自分の中で納得して行動したいという思いがあった。逃げようとする人を阻む空気とはどんなものか、その現実を自分でみてきいて感じたいと思った。 (次号につづく)
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by spacef | 2011-07-02 17:56 | ニュースレター