表紙の言葉(スペースFニュースレター2011年6月号)

 3・11東日本大震災から3ヶ月以上経ちましたが、みなさんは震災発生時、どこで何をしていましたか?私は自宅にいました。つけっぱなしのテレビから突然、不気味な警報音が聞こえ、続いて激しく長い揺れに見舞われました。急いで食卓の下へもぐり、余震に襲われながら見たテレビ映像に言葉を失いました。黒い津波が畑やビニルハウスを容赦なく襲っていたのです。今まさに津波に呑み込まれている人々が画面の向こうにいて、片や無傷の私がここにいる。そのギャップに茫然とするばかりでした。

 その後、福島第一原発1号基が爆発したことを知り、絶望感に襲われました。もはや放射能汚染のない食べ物や水はなくなるのだと。古長谷稔(こながやみのる)著『放射能で首都圏消滅』(2006)には、東海地震によって浜岡原発が原発震災を起こした時に放射能から身を守る方法が書かれています。この本を数年前に読んだ私は、日本で最も危ない原発は浜岡だと思っていたので、福島原発のことはノーマークというか、恥ずかしながらその存在を知りませんでした。

 今、首都圏の人々の暮らしは、一見、震災前に戻ったかのように見えます。しかし、原発は収束の目途がいまだに立っておらず、放射性物質の流出が続いています。下水処理施設から出る汚泥に高濃度の放射能汚染が確認され、育ち盛りの子どもを持つ親にとって、安心して子どもを育てることのできる環境を取り戻すことはできるのか、どうすれば子どもの被曝を最小限にできるのか悩ましい問題です。

 福島の子ども達は、文科省の定めた基準値20ミリシーベルト/年のために避難できず、首都圏とは比べものにならない高濃度に汚染された地域で暮らすことを強いられています。子どもは放射能に対する感受性が高いので、早急に子どもの被曝低減策を講じる必要があります。そういった放射能に関する正しい知識が広く人々に行き渡っていないことはとても残念です。25年前のチェルノブイリの教訓を生かして子どもを放射能から守らなくては。子どもが先に死んでいく悲しい事態を5年後、10年後に引き起こさないために。
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by spacef | 2011-07-02 17:42 | ニュースレター